罪障消滅のお題目に励む理由|3回目の修行を終えて

圓福寺だよりコラム「仏音」

※令和元年(平成31年)6月に書かれた文章です。

 

昨秋、平成30年11月1日、正中山日蓮宗大荒行堂へ6年ぶりに入行し、本年2月10日、無事に参行(三回目)を成満することができました。

入行中ならびに帰山奉告式に、ご支援ご尽力いただきました圓福寺檀信徒有縁の皆さま方に、改めて厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

入行中は、毎日たくさんのお経を読み、たくさんの水をかぶります。

では、なぜそれを行うのか。

それは、毎日の読経や水行を行うなかで罪障消滅・祈願・回向をしていくからです。

皆さまも普段、お参りされる際に、自身の罪障消滅や、ご祈願、亡くなった方へのご回向を行っている方もいらっしゃると思います。

そのなかで今回は「罪障消滅」に着目していきたいと思います。

 

「末世の衆生、鬼神に悩まさる」とは

私は入行前に、ある書物に目を通しました。

それは、いまから130年前の明治に発行された「法華験家訓蒙ほっけけんかくんもう」という書物です。

そこに、罪障消滅のお題目に励まなければならない理由が以下のように記されておりました。

「末世の衆生、鬼神に悩まさる」

・「末世」とは、末法(まっぽう)の時代のこと。つまり仏法が衰えた時代、仏滅2000年後の時代。いわゆる現代のこと。

・「衆生」とは、我々人間に代表される、生きとし生けるもの。

・「鬼神」とは、普通の人の耳や目では捉えることができない,超人的な能力をもつ存在。いわゆる鬼。

つまり、「末世の衆生、鬼神に悩まさる」とは、「現代の人間は、鬼に悩まされる」ということです。

 

それは、なぜか

「現代の人間は、鬼に悩まされる」、その理由が「法華験家訓蒙」に以下のように記されています。

「末世の人間は徳が薄く、仏を信じ敬うことを知らない。欲望の赴くままに行動して、過ちを犯し、罪を重ねる。だから、邪悪な鬼は、ときをうかがい、自分の形を隠し、何かに仮託して違った形で現れ、とり憑き、人間に様々な苦悩をさせる」というのです。

何かに仮託して違った形で現れるというのが非常に厄介です。

自分の身近な人、家族かもしれません。職場の人間かもしれません。

ただ私たちは徳が薄いため、それに気づきません。鬼が頼っている、頼られていることに気づかないのです。

 

鬼の目的は、悪循環に陥れ苦しみから抜け出せなくさせること

例えば、会社の上司や同僚に鬼が頼って、パワハラやイジメのように自分を物凄く攻めてくることがあったとします。

自分は、上司や同僚に鬼が頼っていることが分からないため、上司や同僚を憎み、揉めてしまう。

するとどうなるか。

① 会社で孤立する。
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② 会社に行くのが嫌になる。
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③ 会社を辞める。
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④ 転職する。
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⑤ 転職した先でも同じことが起こる。
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⑥ 仕事・人と接するのが嫌になる。
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⑦ 経済的に不安定になる。
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⑧ 苦しむ。

こうなると、悪循環に陥って抜け出すことができません。

鬼の目的は、自分を苦しめ嫌な思いをさせることなので、知らず知らずのうちに鬼の思い通りになってしまうわけです。

ただ、そこで鬼の仕業だ、因縁によるものだと気づくことがとても大切です。

周りのせいではなく、自分が罪深いから、邪悪な鬼が上司や同僚の身体や口を借りて、仮託して自分を攻めてきているのだと。

そこで強い気持ちをもって罪障消滅のお題目に励むことで、鬼もこの者を攻撃しても効かない、気持ちがなびかないと感じ邪魔するのを止めるはずです。

 

仏を信じ敬い信心堅固であっても、鬼に侵入される者がいるのはどうしてか。

「末世の衆生、鬼神に悩まさる」には続きがあります。

「問う。仏を信じない者に邪悪な鬼が侵入することは分かる。しかし、すでに仏を信じ敬っていても、鬼に憑かれる者がいるのはどうしてか。」

「答えていう。すでに仏を信じ敬っていても、信心堅固でなければ、邪悪な鬼の侵入を避けることができない。末世の人間は、徳が薄く罪深いので、信心堅固にできない。」

「さらに問う。信心堅固であっても、鬼に侵入される者がいるのはどうしてか。」

「答えていう。たとえ信心堅固であっても、無始以来の多くの罪や障りがある者は、魔や鬼に悩まされる。とくに精神が乱れ悩む者は、ひとえに過去世から積もった障りが重いからである。」

徳が薄く罪深い私たちが、過去世から積もった障りを解決する方法は、罪障が消滅する修行をすることです。

つまり、私たちは、信心堅固にして、懺悔し罪障消滅のお題目、南無妙法蓮華経に励まないといけないのです。

 

令和元年(平成31年)6月

妙徳山 圓福寺
長 亮達