何のために、この世に生まれたのか

圓福寺だよりコラム「仏音」
Column No.052

 

私たちは、この世になぜ生まれてきたのでしょうか。

何のために、生まれなければならないのか。

誰でも疑問を持ったことがあると思います。

昔からいろいろなことが言われてきましたが、ほとんどの人が何のために生まれたのか分からないと思います。

そして、分からないまま人生を過ごす人が大半ではないでしょうか。

 

仏になるために生まれてくる

仏教の考えでは「仏」になるために生まれてくるのです。

お釈迦さまの最高の教え、真の教え、法華経(妙法蓮華経)には、

今此三界こんしさんがい 皆是我有かいぜがう 其中衆生ごちゅうしゅじょう 悉是吾子しつぜごし 而今此処にこんししょ 多諸患難たしょげんなん 唯我一人ゆいがいちにん 能為救護のういくご」と説かれています。

この意味は、「この世は総て仏のもので、そこにいる総ての人々は、自分の子供と同じである。しかし、この世というのは、種々の苦しみ困難が常にある。ただ私だけ(仏だけ)が救うことができる」と説かれています。

仏さまは人々を我が子と思っている。我が子は誰でも可愛い、何としてでも幸せにしたい、 そのために救いの手を差し伸べているのです。

 

この世は、苦しみの方が多い

この世を娑婆といいます。

娑婆の意味は忍土といい、忍耐をしなければ生きていけないところです。

皆さんも同感だと思います。

この世は良いことより、悪いこと、苦しみの方が多いと感じている人が多いのではないでしょうか。

そのため、多くの人が困難や苦しみに負け、怠惰、諦めなどの気持ちになってしまいます。

寒苦鳥という鳥がいます。寒苦鳥は、寒さに苦しみ、明日天気になったら巣を作り暖かい巣で寝ようと思っています。しかし、次の日、天気になり暖かくなると、また眠ってしまい巣作りを止めてしまいます。

毎日そんなことを繰り返します。

 

苦しいときこそ、魂を磨く好機である

私たちが生まれるのは、仏がわざと苦しい困難が待っているこの世界へ生まれさせるのです。

楽で何の苦みもない世界では、人は何も考えません。

苦しい時、困難にぶつかった時、色々考えることの出来る人が魂を磨いていくのです。

そのように悪い考え、怠け心に向かわず、一生懸命努力する人を仏は救おうとしているのです。

執着の心、これが総てです。

この気持ちを無くすためには、苦しみ、もがかないと薄れてこないのです。

そのために仏は、わざとこの娑婆世界に私たちを慈悲の気持ちで生まれさせるのです。

日蓮聖人は、「名聞名利は、この世の飾り。後生(あの世へ行ったあと)の邪魔になるものだ。」と言われています。

ただ無駄に人生を過ごし、あの世に行くと、今度はもっと悪い環境に生まれ、もっと苦しみ悩む人生を送ることになるのです。

そのようにならないように、この世で良い功徳を積みましょう。

どのようにするのか。

仏になるためにこの世に生まれてくるという仏の考えを信じ、南無妙法蓮華経を日頃から唱え、布施(見返りを求めない行い)の気持ちで人生を無駄なく過ごしましょう。

 

 

平成29(2017年)年01月01日発行 第78号より