column No.040
過去の行いが現在、今の行いが将来へ
日蓮聖人は「法衣書(ほうえしょ)」の中で、
「御衣布並びに単衣布給び候ひ了んぬ。そもそも食は命をつなぎ、衣は身をかくず。食を有情に施すものは長寿の報をまねき、人の食を奪うものは短命の報をうく。
衣を人にほどこさぬ者は世々所生に裸形の報を感ず。六道の中に人道以下は皆形裸にして生まる。
天は随生衣なり。その中の鹿等は無衣にして生まるのみならず。人の衣をぬずみしゆへに、身の皮を人にはがれて盗みし衣をつぐのうほう(報)をえたり。
人の中にも鮮白比丘に(尼)は生ぜし時、衣を被りてうまれぬ」
と言われています。
現代語訳しますと、
『御法衣用の布、単衣用の布を頂戴し、お礼申し上げます。食べ物というのは命をつないでいくものであり、衣類は身をかくすもので、生活する上で人事な必需品です。
ですから、食べ物を施す人は長寿の善い報いを得、他人の食べ物を奪う者は短命という悪い報いを受けるのです。
衣類を施さない人は、いくら生まれ変わっても裸でいるという悪い報いを受ける六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の中の人間以下のものは、みな裸で生まれます。
天人は生まれながらに衣を身につけています。五道の中の鹿などは、裸で生まれるだけでなく、他人の衣を盗んだ罪により、身の皮を剥がれて、その罪をつぐなうという報いを受けています。
また、人に衣を施すことは大切なことで、それを実践した鮮白比丘尼という人は生まれた時から衣を身につけていました。』
過去の行いが現在の結果として出る。今の行いが将来結果として出る。
因果の法則です。
何かすれば、される
人にものを施すということは自分にかえってくるのです。
例えば食べ物を施せば将来、食べる物に困らず、お金を施せば、お金に困らない、衣類を施せば着るものに不自由しない。何かすれば、される、このバランスが大宇宙の法則です。
私たちはこの大宇宙の法則からのがれることは出来ません。このことを信じて世の中が良くなるように、他人に施すことが結局、自分の幸につながっていくことなのです。
この行いが身で唱えるお題目ということです。
平成22(2010年)年07月01日発行 第65号より