釈迦の心⑰ – 仏が我身に入る

圓福寺だよりコラム「仏音」

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column No.030

 

 

お釈迦さまと同じになれる

 

前号で「自然譲与」について少しふれました。

 

自分の智慧、厳しい修行を続けて一念三千を悟るのではなく、南無という強く信ずる気持ちで、南無妙法蓮華経を唱える。

 

お題目の中に私たちが入っていく。するとお題目が私たちの中に入ってくる。これが、仏の一念三千が自然に譲り与えられるということ、つまり自然譲与なのです。

 

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」と、観心本尊妙に述べられている有名な言葉です。

 

お釈迦さまが過去、生まれ変わり死に変わり永い間修行し、その結果、仏になった。この修行と結果、仏になった功徳一切が妙法蓮華経の五字に具わっている。

 

ですから、私たちがこの妙法蓮華経を信じて、南無妙法蓮華経を唱えれば、自然にお釈迦さまと同じになれるというのです。

 

 

我身の仏を活躍させる

 

さらに観心本尊妙に「一念三千を識ざる者には、仏大慈悲を起こし五字の内にこの珠をつつみ、末代幼稚の首にかけさしめたもう」と、述べられています。

 

一念三千を知らない人の為に、仏は大きな慈悲の心で妙法蓮華経の中にこの一念三千の宝物を包み、乱れた悪の多い世の中にいる私たちの首にかけて下さっているのです。

 

これが悪世の中にいる私たちを救う方法だったのです。

 

お釈迦さまが、特別に考えて残されたお題目の信仰だったのです。南無妙法蓮華経を唱えることによって仏が我身に入る。これが事の一念三千、悟りということですが、自覚するだけではまだだめです。我身の仏が活躍されてこそ、一念三千といえるのです。

 

日蓮聖人は、立正安国論を建白し幕府を諌めた時、瀧の口法難で平左衛門に対し強く諌めた時、佐渡より鎌倉へ帰り、平左衛門をまた強く諌めた時、この三回は「日蓮が言ったのではない、ただひとえに釈迦牟尼の御魂が日蓮の身にお入りになって申したことである。喜び身に余る。事の一念三千とはこのことなのだ」と言われています。

 

これこそ、仏が我身に入り、仏と日蓮聖人が一体不二になったことで、本当の事の一念三千といえるでしょう。

 

 

平成17(2005年)年01月01日発行 第54号より