日蓮宗の開祖、日蓮聖人が遺したお言葉(御遺文)は、心豊かに生きる知恵が詰まっています。
今回ご紹介するのは、『忘持経事』の一節です。
御遺文 原文
教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し、歓喜身に余り、心の苦しみ忽ち息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬えば種子と菓子と、身と影のごとし。
・御遺文名『忘持経事』
・建治2年(1276年)
・日蓮聖人 55歳
・富木常忍 宛
御遺文 現代語訳
教主釈尊の御宝前に母の遺骨を安置して、その前で頭と両手両足を投げ、ひれ伏し、合掌し両眼を開き、教主釈尊の尊いお姿を礼拝すれば、大いなる悦びが身体中にあふれ、心の苦しみはたちまちに消え失せてしまった。
私の頭は父母からいただいた頭、私の足は父母からいただいた足、私の十本の指は父母からいただいた十指、私の口は父母からいただいた口である。
父母と私の関係は、たとえて言うなら、種子と果実との関係であり、身体とその影との関係になる。
御遺文 解説
日蓮聖人の熱心な信者である富木常忍は、身延山の日蓮聖人のもとに亡き母の遺骨を抱いて登詣し、回向を受けて納骨をしました。
富木常忍は、安心したのかいつも所持しているお経を忘れて帰ってしまったため、日蓮聖人はお経の巻物とともに「魂を忘れてはならぬ」と手紙を添えて届けました。
この御遺文は、そのときのお手紙に書かれていた一節です。
日蓮聖人は、富木常忍の母を想う孝養心に感激し、母の成仏と富木常忍の成仏とは一体であると示されています。
誰でも父や母との別れを経験しなくはなりません。
しかし、考えてみると、私たちの身体は父母からいただいた身体なのです。心もその通りです。
子は親の背中を見て育ちます。一方で、子の成長は親の成長でもあります。
親と子の関係は、種子と果実、本体とその影の関係にあるのだと示されています。
南無妙法蓮華経