釈迦の心⑦ – 素情しい最高の宝物「一念三千」

圓福寺だよりコラム「仏音」
column No.020

南無妙法蓮華経と唱え、仏とのパイプを太くし、仏の残された最高の乗り物で、仏の大きな命の中に入っていくということは、どのようなことなのか。

今まで、法華経のお題目によってのみ、仏の命の中に入って行けると述べてきました。

では、その法華経の教えとは何なのか。どのような教えなのか。

 

法華経の最も大切な教えとは

ただ信じて(南無をつけて)法華経のお題目、南無妙法蓮華経と唱えれば、以信代慧(いしんだいえ)といって、自然に智慧がつき理解できてくると、日蓮聖人は言われています。

皆さまも、お題目を唱えるうちに、少しは法華経の大切な教えを知りたいと思う気持が出てくると思います。

法華経の教えには色々素情しい教えがありますが、最も大切な教えは、一念三千(いちねんさんぜん)の教えです。

日蓮聖人は、一念三千について、「一念三千こそ不思議で、素情しい最高の宝物である。」と表現され、法華経の中にだけある最高の宝物であると言われています。

 

なぜ、一念三千なのか

過去の仏様たちは、どのようにして時間、空間を超えた大きな生命体になることができたのか。全ての仏様は何をもって仏になったのか。

それは、一念三千を自分のものにすることができたからです。

日蓮聖人は、一念三千だけが仏になることのできる道、一念三千は仏を生み出す父母、と言っておられます。

また、仏になるためには一念三千に限り、一念三千の成仏でなければ、本当の成仏でないと言われています。

次号よりに一念三千とはどういう意味なのか述べていきます。

 

平成12(2000年)年09月10日発行 第44号より