釈迦の心① – お釈迦さまの苦悩(四苦ハ苦)

圓福寺だよりコラム「仏音」

 

column No.014

 

お釈迦さまは、出家する前の太子の時代に苦悩していました。

貧困による争いで醜い姿をしている人、病気で苦しんでいる人、年老いて困っている人。また、人の死に接して何故人生にはこのような苦しみを受けなければならないのか、原因はどこにあるのか。

普通の人は何となく当り前に感じたり、見過ごしてしまうことを真剣に受けとめ悩み考えていました。

 

8つの苦しみ(四苦ハ苦)

結局、人生の苦の原因をつきつめると、①生②老③病④死の四つの苦。

また、⑤気に入らない人と、嫌な人と会ったり仕事をしたりしなければならない苦。⑥愛しい人、好きな人、親しい人とも必ず別れなければならない苦。

そして、⑦欲しくても自分のものにできない苦。⑧身体の活動が盛んなため諸々の迷いに悩ませられる苦。

この8つの苦に集約されました。

そして、この人間の欲望から起こる8つの苦(四苦ハ苦)を解決する方法はないのか。苦しむ多くの人々のため何とか解決したい。

将来、王様になる身分でありながら地位・財産を捨て、出家したのです。

今まで過ごした宮殿での豪華な生活が一転して、乞食者の生活に変わったのです。

永い間さまざまな修行を重ね、苦労に苦労をした結果ついに解決する日がきました。成仏、悟ったのです。過去に体験したことのない清々しい喜びに満ちた感覚に、しばらくの間浸っていたぐらいです。

この時は、自分の姿は時間・空間を超えた無限大の生命であった。空間的には全宇宙を包み込む生命、全宇宙に溶け合って、自分と他人の区別がない、全て慈悲の気持で一体となっている状態。他人の喜び悲しみは、自分の喜び悲しみとなった。

後にお釈迦さまは「全ての人々、生きもののそれぞれ異った苦しみを受けるのは自分一人の苦しみである」とおっしゃっています。

 

時間・空間を超えた「久遠実成」

時間的にはどうなのか。

過去、現在、未来に渡って、始めもなく終わりもない生、老、病、死も超越した永遠の生命だったのです。

これが仏の時間的な広がりです。

仏は空間的、時間的に大きな生命になっているので、全体を見通した大きなものの見方ができ、遠い過去から永遠の未来まで見通せることができる。

私たちのものの見方は自己中心で目先のこと、表面上のことで判断し、空間的、時間的にもものの見方が小さい。

仏の時間、空間を超えた存在を「久遠実成」といいます。遠い昔に事実として成仏しているということです。

法華経の寿量品でこのことを初めて明かされるのです。

もともと仏であったのですが、迷い悩む多くの人々を救うために人間の姿としてインドに現われたのです。

 

 

平成10(1998年)年07月01日発行 第38号より