「生まれる」と「生む」

圓福寺だよりコラム「仏音」

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column No.004

 

昨年から今年にかけて当山にお参りする檀信徒さんのなかで出産された方と、出産予定の方が今までになく多いようです。

新たな生命の誕生はとても嬉しいことです。それも皆様が熱心な信仰に縁のある方ばかりで、きっと良い子が生れ育つことと思います。

 

便利になる代償

 

「生」というのは、「生まれる」と「生む」という両方があると知るべきでしょう。

私たちの生活を見渡せば、非常に文明が発達し便利過ぎるくらい便利になりました。人間の知恵ははかり知れません。まだまだ便利になるでしょう。そのうちロボットが何でもやってくれる時代がくるかも知れません。

そうなるとかえって人間が退化し、なにかの理由で突然電気が止まってしまったら、電車、電話、テレビ、水道・・・みな不可能となり、大パニックになってしまうでしょう。

考えてみれば恐ろしい世の中になったものです。便利に慣れっこになってしまっているのです。

もうこれ以上便利にならなくてもよいと思ってしまうほど。我々の生活が豊かに、便利になる一方で地球は確実に衰弱し破壊に向かってどんどん進んでいます。それもスピードをあげながら。

 

人間の知恵が生むもの

 

病気も多くの病気が昔と違って治るようになりましたが、一方で薬の副作用が問題です。

人間の知恵、感性はすばらしいものです。

その能力でよいものが生まれるのはよいのですが、悪い面、副作用は生む必要はないのです。結局自分で自分の首をしめているようなものです。科学文明の発達は結構なことですが、今後は悪い面を出さない発展の仕方が大切でしょう。

これが本当の人間の知恵が生むものだと思います。病気になって薬で治すのではなく、病気にならない普段の生活に知恵をしぼりたいものです。

子供を授かり生まれたならば、仏様から預かったと考え、将来立派な人間に育て仏様にお返しできるように努めましょう。そうすることで、自分自身が仏の境地に生まれるためと自覚し、良く生む(育てる)ことが信仰者の知恵でしょう。

南無妙法蓮華経のお題目が最高の栄養となり良く育てることに通じると信じます。

 

 

平成04(1992年)年03月20日発行 第24号より