『光日房御書 祖寿五十五歳 於身延 光日尼宛』
針は水にしずむ。
雨は空にとどまらず。
蟻子を殺せる者は地獄に入り、死に屍を切れる者は悪道をまぬがれず。
いかにいわんや、人身をうけたる者をころせる人をや。
ただし大石も海にうかぶ、船の力なり。
大火もきゆる事、水の用にあらずや。
小罪なれども、懺悔せざれば悪道をまぬがれず。
大逆なれども、懺悔すれば罪きえぬ。

『現代語訳』
針が水の中に沈み、雨が空中にとどまらないように、蟻を殺した者も地獄に堕ち、死体を切った者も地獄・餓鬼・畜生の三悪道へ堕ちることから免まぬがれることはできない。
まして、いかに武士といえども人間を殺したとすればなおさらのことである。
しかし、大石も船の力を借りて海に浮かぶことができ、大火も水の働きによって消すことがきるように、小さな罪でも悔い改めなければ必ず悪道に堕ちるが、大きな罪を犯した人でも悔い改めればその罪を消すことができるのである。

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お題目は母乳のごとし.pdf


この世は、第六天魔王の所領である。
仏教では、この世の中は、最高の魔王である第六天魔王が支配しているという。その支配下に、我々の眼には見えない存在である、多くの魔・鬼などを従えている。

日蓮聖人は、第六天魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いた。しかし、純粋な法華経の信者の祈りの前には第六天魔王も味方すると、日蓮聖人は自筆の御書で説いている。

日蓮聖人があらわした法華経の曼荼羅に第六天魔王が含まれているのは、第六天魔王も、結局は法華経の味方となるという意味である。第六天魔王は、仏道修行者の修行が進むと、さまざまな障りで仏道修行者の信心の邪魔をするが、それに負けず、一途に信心を貫くものにとっては、さらなる信心を重ねるきっかけとなるにすぎない。

なぜなら、信心を深めることにより、過去世からの業が軽減・消滅し、さらなる信心により功徳が増すきっかけとなるからであると日蓮聖人は説いている。


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『罪障消滅のお題目』

罪障消滅のお題目に励まなければならない理由

「末世の衆生、鬼神に悩まさる」
      ↓
現代の人間は、鬼に悩まされる。

なぜ、現代の人間は、鬼に悩まされる?
・徳が薄い。
・仏を信じ敬うことを知らない。
・欲望の赴くままに過ちを犯し罪を重ねる。

だから鬼はこの期をうかがい、
・自分の形を隠し
・何かに仮託して違った形で現れ
・とり憑き
・人間に様々な苦悩をさせる

仏を信じ敬っている者にも、鬼に侵入される者がいるのはどうしてか?
      ↓
信心堅固でなければ、邪悪な鬼の侵入を避けることができない。

信心堅固であっても、鬼に侵入される者がいるのはどうしてか?
      ↓
堅固な信心があっても、無始以来の罪があるために、魔や鬼に悩ませ乱される。

とくに精神が乱れる者
      ↓
過去世から積もった障りが重い

解決する方法
      ↓
懺悔して罪障消滅のお題目を唱えること。

懺悔滅罪
罪障消滅




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『過去の重罪、経力に因て現世に軽報を受く』


過去の重罪が、経の力によって、現世での報いが軽くなること。

【問】
世間で、仏・法・僧の三宝を心の底から信じていても、なお種々の重病にかかったり、または非業の死をとげる者があるのは、どうしてか。

【答】
ある人がいて、過去の世に色々な汚れて悪い間違った教えを行い、正しい教えを謗ることがあると、未来の世には必ず地獄へ堕ちるはずである。

そこで、後悔の心を起こし、それ以上に悪い結果を作らず、熱心に経を唱えると、その人の重罪の罪を現世で軽く受けるだろう。

あるいは、深刻なケガや重い病気、刑を科せられ牢獄につながれる、他人に殴打されたり、殺害される。このような報いを現世で受けると、堕地獄の大難は、すべて除かれ消滅する。愚かな人は、この意味を知らない。

日蓮聖人も開目抄において「日蓮をはじめ弟子もいかなる法難迫害に出会っても、疑いの心を去って信心に精進すれば、必ず成仏の目的を達することができる。諸天の加護のないことを疑ってはならない、現世の不安なことに気を取られてはならない、朝な夕なに弟子たちに教えたにもかかわらず、疑心に駆られてその教えを捨てたであろう。小人の常として平素約束したことを、実際の場合に忘れるものである」と。

また、「要するに天に捨てられようが諸難にあおうが、命ある限り法華経の修行に精進しよう。善につけ悪につけ法華経を捨てることは、最大の悪事である」と。

信じる力が堅い者は、大難が変化して小難となり、小難は転化して何の障りもない人となる。人間の思考では測り知ることのできない広大な教えの力は、どうして私たちをあざむくことがあろうか。」


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仏法僧の三宝を信じ信心深くとも今生には重病を患い、また非業の死を遂げる者がいる
⇒重きを転じて軽きを受くの「転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)」
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日蓮聖人は「転重軽受法門」において「涅槃経に転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と申す法門あり。先業(せんごう)の重き、今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値(あ)はせ候へば、地獄の苦しみはつときへて、死に候へば人・天・三乗・一乗の益をうる事の候。」と述べられいる。

重き過去世の業が今生に尽きること無く、なお未来世においても堕獄の苦を受くべきものが、現世に重苦を受けるならば、来世は重苦を受けることなく、地獄・餓鬼・畜生・修羅に堕ちることなく、仏になることができるということである。

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前生の悪業が重くて、この世では罪を消すことができず、死んだあと地獄の苦しみを受けなければならないのを、この世でそれに変わる苦しみを受けることにより、未来の地獄の苦しみはたちまちに消えて、死後は幸せなところに生まれ変わることができる、という教えである。