顛倒(てんどう)の人々

圓福寺だよりコラム「仏音」

column No.050

 

 

我々は本来、清浄な心、正しい考えを持っています。

 

しかし、顛倒とは、煩悩のため心が濁り汚れて、考え方が間違い迷っている状態をいいます。

 

私たちの心の顛倒に大別して、四種類あります。

 

 

四種類の顛倒

 

一つは、此の世の中すべては無常であるということです。

 

生者必滅、会者定離で生まれた者は必ず変化し死を迎える。形あるものも必ず壊れてきます。

 

頑強のコンクリートの建物でも、数十年、数百年すれば必ず完成時の面影はなく、滅していきます。遅かれ早かれ時期がくれば、なくなる運命なのです。

 

永遠に同じ状態で変化しないものは何一つありません。

 

この様に思わないことを「常顛倒」といいます。

 

また、世の中の楽しいことは、お金を持ち・美味しいものを食べ・高価な服を着・面白い映画や芝居を観・お酒を飲み・友達知人たちと楽しく過こす事が快楽であると考える。

 

これもお金が無くなり、病気になったり、年老いてくれば叶いません。永久に続きません。

 

このようなことを楽しみと思う事を「楽顛倒」といいます。

 

次に不浄なものを清浄と勘違いしてる人々、表面だけ見て、男女でも、物でも、それで判断して執着し、周りに迷惑をかけたりする。これを「浄顛倒」といいます。

 

そして、例えば家について。家は本来は、柱、板、屋根、瓦、畳なので作ったもので、「家」というものは元々無い、これを有ると思うのが、我があるということで「我顛倒」といいます。

 

つまり世の中の本当の相(すがた)、実相というものが見えない、そのような人々を顛倒の衆生(人々)といいます。

 

 

「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の三毒

 

このように、考えが顛倒(間違い)する原因は何かというと、種々原因が有りますが、根本は「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の三毒といわれるものです。

 

①満たされていても上を望み、他人を陥し入れても取ろうとする貪欲の心

②怒らなくてもよいのにイライラ腹を立て怒る瞑の心

③物の道理・因果の道理をわきまえない愚痴の心

この三つの煩悩が有る為、考え方が間違ってしまうのです。

 

法華経の教えでは、常に我々の近くに仏さまはいらっしゃいますが、このような人々は当然、見ることは出来ません。永遠に見る、感じることは出来ません。

 

世の中の真理、本当の相を観るためには、信じて南無妙法蓮華経を身・口・意に唱えることが最も大切です。

 

これが本当の快楽、満たされた状態、仏に成るということです。

 

 

平成28(2016年)年01月01日発行 第76号より